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Posted by 一平 - 2011.02.19,Sat
2月11日は太平洋の奇跡の封切りであった。本もこの日から販売した。すでに、日本テレビやフジテレビ、NHK、朝日新聞、中日新聞、東海日日新聞では出版されることを放映、記事にしてくれていたので、翌日の12日、13日に蒲郡市勤労福祉会館で行われた、「大場栄と峯子の戦火のラブレター展」は開演と同時にとぎれることなく多くの人が訪れてくれた。
パネル展示を紹介しておこう。

開催にあたって
大場栄と峯子は共に愛知県蒲郡市出身で、栄は豊橋市吉田方小学校、(峯子は後に三谷町立三谷小学校)の教師をしていましたが、栄は1937年に妻峯子と一人息子を残して日中戦争に徴兵されます。一、二年で終結すると思われた戦争は1945年まで続きます。  二人は手紙を綴ります。栄は中国大陸での数々の戦闘の経過を、妻も戦時下の様子を週に一度7年間送り続けました。手紙は千通以上あったと思われますが、峯子は亡くなるまで、二人の手紙を大切に小箱に入れてしまってありました。  二人の手紙は大場栄のサイパンでの活躍が2011年2月に東宝映画「太平洋の奇跡」として映画化された時に発見されました。  手紙は二人のロマンスを中心に赤ん坊の成長記録をおり交ぜながらユーモラスに描かれいます。どこでデートし、初めて口吻をした想い出、二人はかつての幸福な想い出をまさぐりあいます。遠く離れた日本と中国から月や日蝕を眺め、互い に「見ているかい?」と手紙でやり取りする描写等は、とても詩的でロマンチックな内容になっています。  戦争中、夫婦の交わした手紙は多く紹介されていますが、一般に戦地の夫が妻に送ったものが多く、二人の手紙が長期間にわたり残っているのは珍しいと思われます。また、二人の手紙は当時の様子が具体的なドキュメンタリーのようになっていることにより、昭和12年から18年までの日中戦争時期の時代背景を知る一級の歴史的価値のあるものとなっています。  戦争が二人の愛を裂き、悲しみと不安に満ちた日常生活を強いられることが二人の手紙から感じられることと思います。  そのような意義とは別に、当時の二人の愛に溢れるラブレターを読まれることだけでも、この展覧会をご覧になる意味があると思います。続く
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