Posted by 一平 - 2011.02.07,Mon
●日本人の戦争意識
それは日本人のこの戦争に対する意識の問題であった。ジョン・ダワーは豊富な資料で敗戦後の日本人の変わりゆく意識を様々な事例をあげて詳述している。その中で、米軍占領下、日本が平和憲法の下、民主化政策を進める中で、軍隊組織や軍人特に将校に対する見方が百八十度変わったいったことをあげている。
読みながら、同行者の一人が大場栄が頭を下げて軍刀を手渡す写真は日本人には抵抗感があるのでは?と言った言葉が蘇ってきた。
そのことは、後日、豊橋在住の90歳になるサイパンからの帰還者の話を伺ったとき、一層感じるようになった。
サイパン帰りは帰国してから肩身の狭い思いをしたというものであった。その人はは総突撃命令が出て、「ワー」と突撃したものの足を撃たれ、倒れている所を米軍に保護され、三年間アメリカの捕虜収容所に収容されて日本に帰国した兵隊だが、帰国後同郷の犠牲になった遺族から、「玉砕で全滅したのに、あんたは狡(ずる)をしたのでは」と陰口を浴びたというのである。将校の場合はもっとひどく、部下の遺族が訪ねてきて、「隊長のお前が五体満足に帰還したのはどういうことか」と、詰問されただろうという。
合わせて、非人道的な軍隊規律や中国などでの残虐行為が全て個々の将校の責任であるかのように責められた。
玉砕の島サイパンから生きて帰還した将校は、二重の重い荷を背負わされている。戦後の日本は生還を待ちわびた家族達が、その苦しみと怒りをどこにぶつけて良いのかわからない深い悲しみに満ちていたのである。
大場栄とみね子は愛しながらも共に生活をすることができなかった。栄もみね子も手紙の中で、質実剛健に正々堂々と生きることを書き連ねている。
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